式内 石屋神社
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概 要
社 号 式内 石屋神社
読み:いわや
江戸時代は「岩屋明神」「絵島明神」
延喜式神名帳 式内社 淡路国津名郡 石屋神社
読み:
所在地 兵庫県淡路市岩屋799
旧地名 淡路国津名郡
御祭神主祭神 国常立尊(クニトコタチノミコト)
配祀神 伊弉諾尊(イザナギノミコト) 伊弉冊尊(イザナミノミコト)
例祭日 5月15日
3月第2土曜 豊作を願う「浜芝居」、5・9月第2土日曜 「だんじりもくりだす祭り」
社格等
古代社格制度『延喜式神名帳』式内社
南海道 163座 大29(うち預月次新嘗10・さらにこのうち預相嘗4)・小134
淡路国 13座(大2座・小11座)
津名郡(ツナ) 9座(大1座・小8座)
近代社格制度 旧郷社
創建 崇神天皇の御代
本殿様式 春日造檜皮葺
境内摂末社(祭神)
八百萬神社、稲荷神社
一口メモ
本州と淡路島をつなぐ明石海峡大橋の淡路I.Cのすぐ東にある。国道28号線をはさみ神社のすぐ前に浜辺が広がっている。あとで知ったが、三対山の北側にある岩屋恵比寿神社には伊弉諾尊がかくれ給うた幽宮であると伝承される洞窟があるらしい。
歴史・由緒等
平安時代に書かれた、延喜式に登場する淡路で最も古い神社のひとつ。祭神は国常立尊(くにとこたちのみこと)・イザナギ尊・イザナミ尊の三柱。3月第2土曜には豊作を願う浜芝居、5・9月第2土日曜にはだんじりもくりだす祭りが行われ、島の人々の信仰も篤い神社です。
由 緒
創立年代不詳。崇神天皇の御代、三対山に鎮座せられ絵島明神といい、垂仁天皇の御代石屋明神と云う。
神功皇后三韓征伐の際対岸明石郡垂水の浜より当浦に着船せられ三対山の頂上において戦勝を祈願せられ凱旋の時また参拝ありて報賽せられしという。
延喜式の小社に列し、白河天皇承暦4年罪過や穢による当社の祟りがあることが占いによって分かったので祓いをさす為、使を当社に遣わすよう天皇に申し上げた。
源平争覇の時岩屋浦戦火の巷と化したるにより、当社も多くの什宝古記録等は鳥有に帰してしまった。土御門天皇の御代大内義興が将軍義植を奉じて京に入らむとして当地に軍を進め、三対山に岩屋城を築きし時当社を海浜なる今の地に遷し奉ったという。
池田氏淡路を領しておった時社殿を再興し、寛政8年(1796)、領主蜂須賀公親しく参拝し、文化14年(1817)にも直参せられた。
明治6年(1873)、郷社に列せられた。
「兵庫県神社庁」
境内・社叢
外観 鳥居
鳥居扁額 手水舎
境内・拝殿 籠に淡路島出身の渡哲也さん奉納の灯籠があった
狛犬
拝殿扁額 本殿
左手境内社 八百萬神社
地名・地誌
地 図
交通アクセス・周辺情報
参 考
「兵庫県神社庁」、「延喜式神社の調査」さん、他
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